名誉院長✖️院長対談

前院長の長尾名誉院長と現院長の豊國院長の対談です。

持続可能なクリニックとして、地域にあり続けるために。

対談のバナー写真

1995年に開院した長尾クリニックは、2022年7月、院長の交代という新たな節目を迎えました。
たったひとりから始め、育て上げたクリニックを継承すると決意した背景にも、また受け継いだ立場としての思いにも、様々なものがあることでしょう。
長尾クリニックの初代院長であり現・名誉院長である長尾和宏先生と、新院長・豊國剛大先生に、今の思いと今後についてお話しいただきました。

「院長を退く」――決断の奥にあった思い

――長尾先生は2022年7月、院長職を豊國先生に譲られました。世間的には、医師とはそもそも定年のない職であると認識されており、その選択に驚かれる方も多いことと思います。なぜ、このような決断に至ったのでしょうか。

長尾名誉院長

長尾名誉院長

長尾名誉院長:これは僕自身の人生観、あるいは死生観と関係する話です。 僕の父は48歳で亡くなっています。親が若くしてこの世を去っているということで、自分自身の中にも、人生はいつどこで終わるかわからない、もしかしたら父の年齢を超えることはないかもしれないという呪縛のような思いがありました。50歳になったときには、嬉しくて生前葬をやったぐらいです。そしてまた、終末期医療や尊厳死という領域にずっと関わり続け、人の死を本当にたくさん見てくるなかで、生は有限であるとも強く感じるようになっていきました。お釈迦様が死後の世界について否定はせずとも肯定もしなかったように、僕自身も死後に続くものが「ある」と肯定しきることはできない。死んでしまったら終わりかもしれないということです。 最近は、自分より若い方を見送ることも増えてきました。関本剛先生、長純一先生など、同じように在宅医療に携わってきた医師でも、年下の方が亡くなられています。僕は今年65歳になります。自分自身の「有限の生」があとどれだけ続くかわからないのなら、世間でいう定年の年齢でひとつの区切りをつけて、やり残していることに注力したい。これが院長職を退こうと考えた大きな理由のひとつですね。ここまで本当に、働きづめに働いてきた人生でもありますから。

――本当に濃い密度で活動されてきたのだということを、これまでのご活躍から感じます。

長尾名誉院長:そうですね。自分で言うのはおこがましいかもしれませんが、人の何倍もの密度の人生を歩んできたと思っていますし、実のところ、もう自分はボロボロだという自覚もあるんです。 僕は裕福ではない家に育ったから、高校生の頃からアルバイトに明け暮れて。15歳から、年数にして50年、働き続けてきた。特に、医師になり、在宅医療に携わるようになってからは、大げさでなく24時間365日、不眠不休の毎日でした。実は途中、突然死するかもしれないと思ったことも何度もあります。 医師の場合、続ける方は80歳でも90歳でも現役ですし、現役で前線に立ち続ける方はすばらしいと思います。でも僕自身は、あえて65歳という世間の定年で終わることで、人生をのペースを少し普通寄りに修正したいというような。そんな気持ちです。

作り上げた「船」を、次に譲るということ

――24時間365日患者さんに寄り添うことは、先生にとって負担も大きかったことと思いますが、一方で患者さんやご家族からは、どんなときにも駆けつけてくださる先生の姿勢に支えられたという声も多く聞かれました。患者さん方からは、ずっと続けてほしいというような声もあったのではないでしょうか。

対談風景

長尾名誉院長:そうですね。定年の年齢で退くのは世間的にも自然なことだとはいえ、スタッフも患者さんもそこにいるわけですから、自分がここで担ってきたことや医師としてしてきたことを放り出していくわけにはいきません。だから、豊國先生に院長をお願いしたんです。ちゃんとお話ししたのはいつ頃だったか……。

豊國院長:1年前くらいですね。お話をいただいたときは、正直驚きました。もちろん、いつかは長尾先生も引退されるときが来るとは思っていましたが、それがこんなに早いタイミングだとは思っていませんでしたから。

――次期院長にというお話があったとき、どんなふうに思われましたか。

豊國院長:プレッシャーを感じなかったと言えば嘘になります。ですが、私はこのクリニックで働いてきて、長尾先生の価値観やスタンスの多くの部分に共感を抱いていましたし、そのすばらしさをもっと広めていきたいとも思っていました。ですから、驚きや不安の半面、『自分を認めていただけた』という誇らしさも、意欲も感じました。 医師は、自分で開業して院長になることはもちろんできます。でも、このような大きな法人を託していただくというのは、自分がしたいと思ってできることではありません。そういう意味で、自分にとってプラスになる部分が大きいと思ったのが、お引き受けした理由です。

豊國院長

豊國院長

長尾名誉院長:ただ、今もおっしゃったけれど、長尾クリニックはクリニックといえど大きな法人ですから。この大きな船の舵を渡されるというのは、やはりすごいプレッシャーだったと思うし、大変だったと思うんですよね。  だけど、院長交代して現時点で8ヶ月、僕はこの短期間でクリニックが良くなったことを感じています。具体的に言うと、明るくなった。風通しが良くなったように感じる。こんな言い方は失礼かもしれないですが、正直僕は、豊國先生がここまでやるとは思っていませんでした。まあ、院長ってこんな大変だったのかとも、たぶん今お思いなんじゃないかと思うんですけれどね(笑)。

豊國院長:この立場になって、長尾先生がこれまでどんな思いでいらしたかというのは、多少なりとも感じているつもりです。いち医師の立場なら、自分の思いだけで働いていても許されるんですが、院長となるとそうはいかないですし、スタッフらに常に評価される立場ですから当然プレッシャーも感じます。そういうなかで、組織としてどうクリニックを運営していくか、どうやったら皆と同じ意思を共有していけるかということを考えていかなければならないのは、難しさを感じる点です。

長尾名誉院長:僕は、最初はひとりだったんですよね。自分でシャッター開けてドア開けて、自分で電気をつけて、帰るときもシャッター閉めて鍵かけて。職員もひとりいるかいないかだし、いらっしゃる患者さんすらゼロという日もあった。そうやってクリニックを一から立ち上げるのも当然苦労があったわけですが、ここまでできあがったものを引き継ぐというのは、たぶんまた別種の苦労がありますよね。

豊國医師

豊國院長:でも、大変だという思いはもちろんありますが、やりがいも感じているんです。私は入職して以来、長尾先生のありかたにずっと教えられてきました。私にはそれをより多くの人に伝えることで、「恩送り」をしていきたいという思いがあるんです。恩送りというのは、いただいた人にだけ「恩返し」するのではなく、受けたものをもっとたくさんの人に送っていくという意味の言葉です。 私ひとり、医師ひとりでできることは限られています。でも自分が教えていただいたことを広めていけば、より多くの方により良いものを提供できるようになるはずだし、長尾先生が築いたものを、さらに次に繋いでいくことができる。これは院長になったからこそできるチャレンジですから、しっかり取り組んでいきたいと考えています。

――作られたものを引き継いで、次世代へ渡していく。このような形で代替わりすることはクリニックとしては珍しいことかもしれません。

カンファレンス風景

豊國院長:そうですね。でも継承したといっても、院長としてどんなときにどうするのか、まだまだ分からないことはいっぱいあります。判断に迷うときは相談させていただくこともあります。

長尾名誉院長:いや、相談といってもほとんどないですよね。本当に時々、ちらりと困りごとのようなことを話してくれることがあるくらいで。まあ、今はお互い現役なので、なんとなく隣で仕事をするような感じですが、この先僕が本当に引退したら、相談役というかお父さんみたいな立ち位置で話を聞けたらいいなと思います。僕にとって、後を引き受けてくれた豊國先生は息子みたいなものですから。

「人」と「生活」を診る医療を求めて

――豊國先生は、前職では総合病院に勤務されていたと伺っています。このような形になるとは当然想像されていなかったかと思いますが、そもそもなぜ長尾クリニックに入職されたのでしょうか。

豊國院長:私は小さいときは病気がちで、よく医者にかかっていたので、もともと町医者に憧れがありました。ただ、最初に勤務したのは、神戸大学病院の総合内科でした。まずは医者としてしっかり成長したい・勉強したいという思いがありましたし、ひとつの専門領域のみでなく人を全体的・総合的に診る総合診療は、自分のなりたい医師像に合っていると思ったからです。 ただ、大学病院の医療の中では、ふとしたときに心の揺らぎを感じることが少なくありませんでした。大学病院にあるのは、最先端医療と積極的な治療です。治療によって患者さんを助けることができて、良かったと誇れるときもあるけれど、一方で最期に接するときなど、どこかで「本当にこれで良かったのかな」と思ってしまう瞬間がある。そこで市中病院に移ってみたんですが、そこでも同じようなことを感じるときがありました。要は、大学病院であれ地域の病院であれ、病院の医療は「治す医療」に大きく寄っているわけです。それは、完治できて、地域復帰ができる場合は良くとも、そうではないときには必ずしもすべてが良いとは思えないところがありました。 そういうことがあって、今度はクリニックに勤めてみようと……。そのとき、目に留まったのが長尾クリニックだったのです。

長尾名誉院長:決してこのクリニックの中身を熟知していたとか、僕の著書を読んだとかではなかったんですよね。

豊國院長:そうなんです。長尾先生のお名前や、在宅医療に力を入れていることは知っていましたが、そういう先生がおられるんだなと記憶に留めていたという程度でした。でも、応募して面接を受けて、いただいた本を読ませていただいたとき、病院で人の最期を看取るときに感じていた疑問――医療はどうあったらいいのかということについて、すとんと答えが入ってきた気がしました。それまでは、自分のしてきたことに違和感を持ちながらも、自信を持ってもっとこうすべきだとは言い切れずにいたところに、後押しをいただいた感じがしたのです。ここに勤めたいなと強く思ったのはそのときでしたね。

それは当たり前のことでありながら、多くの現場では忘れられているようなことではないかと思います。でも私が驚いたのは、ここのスタッフは医師、看護師、ケアマネージャー、事務方まで、誰もがその考え方に共鳴し、理解したうえで患者さんと接しているということでした。考え方そのものから、こういった体制、雰囲気まで、もっと広めていくことができればと思います。

長尾名誉院長:そう思っていただけるのはすごくありがたい。僕が今まで当たり前と思ってやってきたことでも、それが世の中に広まってきたというような感覚は、まだまだ出てこないんです。たぶん治すこと、最後の最後まで治療することを重要とする価値観からしたら、こちらのスタンスのほうがある種異端かもしれないから。でも、何が真に患者さんにとっていいかということは、患者さんが評価すること。だから、やっぱり患者さんに喜んでもらえる医療をしていかないといけないですよね。 ところで先ほど豊國先生は、大学病院と地域の病院を経てここに来たと話されていましたが、医師として何年目だったんですか。

豊國院長:ここに来たときは12年目です。

長尾名誉院長:やっぱりそのくらい。実は、僕も12年目で町医者になっている。それまでは病院の勤務医だったから、キャリアとしてはまったく一緒。

豊國院長:それは知りませんでした。偶然ですね。

「今」の「その先」

――あらためて、今後の長尾クリニックのありかた、この先のビジョン、また個人としておやりになりたいことなど、お聞かせいただけますか。

豊國院長:私自身は、一人ひとりの職員の能力を最大限に引き出していくことを、組織として実施したいと思っています。最初のほうで言いましたが、ひとりでできることは少ないんです。だから、まずはみんなに意見・能力を出し合っていただき、患者さんを大切にするという大きな理念のもとにそれらをまとめて、実践していく。トップダウン型というか、私が何か言ったからそれをするというのではなくて、全員が考えて運営に参加していくような組織にしていきたいです。 クリニックを選ぶのは患者さんです。今まで長尾先生についてきてくださっていた患者さんにも、改めてもう一度、当クリニックを選んでいただけるようにならなければいけない。そのためにも、患者さんを大切にし、満足を提供できる組織であり続けなければと思いますし、いかに患者さんを笑顔にするか、そのために何ができるのかを日々考えて、良い医療につなげていきたいですね。同時に町医者の使命として、地域の方の安心の礎になり続けたいと、そんなふうに思っています。

長尾名誉院長:僕は「豊國ワールド」を築いてほしいですね。僕の存在はもうなかったことにして、未来を創ってほしい、それに尽きます。だから、健康に気をつけて頑張ってほしい。患者さんの生活の中に入っていって支えるということには区切りがないから、自分で自分の仕事をコントロールして、自分自身の健康と幸せを大事にしてほしいなと思います。

往診風景

豊國院長:クリニックとしては、夜間も休日もしっかり対応できなければならないですよね。それができなければ、患者さんの不安に対応できませんから。だから、その体制を維持していくためにこそ、自分も含めたスタッフに無理がかからないこと、ワークライフバランスにきちんと気を配ることが必要とは思っています。患者さんにはどんなときにも対応する体制を崩さず、一方でスタッフが適切に休める勤務スタイルを構築する、そこは今後重視していきたいところです。

長尾名誉院長:法人は、そこで働くみんなが幸福にならないといけないんですよね。自分だけ幸福でも、自分だけ苦労してもだめで、自分も含めたみんなが幸せになっていくようにするのがリーダーという存在。豊國先生には、リーダーとして新しい境地を切り開いてほしいです。性格的に、僕はいい加減だけど豊國先生は真面目で、正反対だから。組織がそのキャラクターでどんなふうに変わっていくか楽しみですね。

豊國院長:確かに真面目と言われたら真面目かもしれないですけれど、診療に臨む姿勢ややり方は、決して正反対ではないです(笑)。

――長尾先生は院長としては引退されても、そのぶん精力的に別の活動をなさるのではと期待している部分もあるのですが、いかがですか。

長尾名誉院長:いや、白紙ですね。この先はいわゆるご隠居さんになるつもりなので、講演や後進の教育といったことも、するとしても数を絞って行うことになるでしょう。ただ、お遍路さんに行きたいという希望はあるんです。四国八十八か所めぐりですね。 僕はある種、死ぬことばかり考えてきたというか、心の中ではいつも終活しているんです。その終活の一環として院長を退こうと考えたときに、当院に豊國先生という方がいて、院長を引き受けていただけた。これは、すばらしい「ご縁」でした。豊國先生という人に巡り合ったことは、人生最大の幸運だったと思っています。

――ありがとうございました。長尾先生が院長から退かれても豊國先生がそれを受け継がれ、長尾クリニックは変わらずここにあり続けるということですね。今後のさらなる発展を期待しております。